駐在員雑感(第19回) 「偽満洲国」 

連休に、家族で吉林省長春市を旅行した。家族には「どうして長春なの?」と聞かれたが、私はなんとしも旧満州国首都の「新京」を家族に見せたかった。>br /> 5月の長春は、梅の花がとてもきれいだった。そして市内中心部にある「文化広場」から「新民大街」という大通りを望む風景は、どことなく霞が関の官庁街を感じさせた。それもそのはず、長春の街の基礎を作ったのは日本なのである。
新民街には、旧満州国最高行政機関である「国務院」(現吉林大学、これは日本の国会議事によく似ている)、「軍事部」(現吉林大学第一医院)のほか旧満州国の中央官庁だった多くの建物が残っており、今も当時の建物が使用されている。
文化広場に立ち、新民街を望むと、当時多くの日本人がこの地に大きな夢を抱いてやってきて、厳しい大自然と闘いながら、新しい生活を始め、この地に根を下ろそうとした活力のようなものが伝わってくる感じがした。
この街をさらに観察したいと思い、文化広場のとなり「朝陽公園」にある高さ120Mのテレビ塔に登った。天気も良かったせいか、上から見る長春の街は実に美しく、いつまでも眺めていたいと思ったほどだ。

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昭和初期、国内の経済不況から抜け出すため、日本人が目指した新天地。そこでは、都市計画や産業振興の分野において壮大な試みがなされ、その政策、都市計画、技術等が戦後の日本に脈々と受け継がれたのである。
いくつかの例を挙げてみると、①都市計画。これは先に述べたとおりであるが、戦後仙台市の定禅寺通り、名古屋の若宮大通、広島の平和大通などにもこの長春の計画が投影されているという。上下水道の整備、そして、東洋で初めての水洗トイレの敷設はこの長春である。
②満鉄(南満州鉄道株式会社)。1934年夢の超特急「あじあ号」を大連から新京(現長春)間で走らせている。最高時速130K。当時としては画期的な速度であり、これは後に東海道新幹線にその技術が引き継がれている。
③満州開発5ヶ年計画。商工省官僚の岸信介が彼の持論である産業立国論、統制経済理論を満州の地で実践したのである。日産コンツェルンの鮎川義介を説得し、満州重工業を設立させ、その後日立や東芝等も満州に進出。さらには当時東洋一の規模の豊満ダム、鴨緑江水電の建設等を行い、何もなかった大地に産業を興し、巨大な都市を作りあげた。この産業立国論は戦後にも継承され、官僚主導による高度成長を実現させた。戦後の高度成長の基礎は、満州にあったという説にも何となくうなずける気がした。
しかし歴史にはさまざまな見方が存在する。
「偽満洲国」。中国を侵略した日本軍により傀儡国家として1932年建国され、13年でこの世から消滅した国。昭和恐慌で追い詰められていた東北の農民が、貧しさから脱出するきっかけにと大いなる夢を抱いた新天地。新国家建設という野望を実現させたかった官僚達にとっての新大陸アトランティス。それぞれの顔が長春にはあり、その当時のにおいがまだ残っているような気がした。

参考:

  • 「月刊歴史街道」2006年4月~満州国の真実~ PHP出版
  • 「阿片王」 佐野真一 新潮社
2006年 5月11日
福島県上海事務所 安達 和久