駐在員雑感(第18回) 「四馬路 (スマロ)」

最近未整理となっていた本を整理した。日本に帰国した際にまとめ買いした本の中には全く読まないものもあったが、改めて整理した中に、大変貴重で面白い本があることに気づいた。それは、「図解上海モダン都市150年」河北書房新社、「上海歴史ガイドマップ」大修館書店の2冊である。これらは、上海赴任前に私の後輩が餞別代わりということで私にくれた本である。これまでも幾度か眺めてはいたが、しっかり読むとこの2冊、上海の歴史を知るために大変役に立つ貴重な資料である。
周知のとおり、上海はアヘン戦争後の1843年11月17日に開港した。
その後1845年11月に第一次「土地章程」によりイギリスの「租界」が設定された。
租界が設定された当時は、道路は大変狭く、ぬかるんでいたという。これがようやく1860年代になり、道路の幅が12M程度にまで拡幅され、ぬかるんだ道路も「マカダム式舗装」といイギリスの最新の技術により改修された。
また、人力車の車夫にもわかるようにと、道路の名前は、南北の道路は中国の省の名前、東西の道路は都市の名前で呼ぶことに決められた。四川路、湖北路、河南路などは南北の道路、南京路、北京路、福州路などは東西の道路ということである。
東西の道路には別名があった。現在の南京路はかっては「大馬路」(ダマロ)と呼ばれていた。福州路は「四馬路」(スマロ)と呼ばれていた。これは、南京路(大馬路)から東西の道を南に数えて4つ目の道路が福州路であることから「四馬路」と呼ばれたのである。
この「四馬路」(福州路)、今では書店、文房具店等の集まる文化街となっているが、1920年代は、茶館、劇場、遊郭等がひしめく一大歓楽街であった。
日本で有名な「上海帰りのリル」の歌詞に出てくる『夢の四馬路の霧降る中・・・・・・』。この「四馬路」こそ、当時の上海の歓楽街「福州路」を歌ったのである。
また、芥川龍之介の「上海遊記、江南遊記」にも、この四馬路にあった茶館「青蓮閣」の様子やアヘンの話、各種犯罪が横行していた様子が書かれており、芥川はこの様子を目の当たりにし、上海を「悪の都市」とまで言っている。さらにもう一人、20年代の上海を訪れた詩人の金子光晴も芥川同様に、上海と満州を比較して、「満州は妻子を引き連れて松杉を植えに行くところ、上海はひとりものが人前から姿を消して1年、2年ほとぼりをさましに行くところ」と語っている。
イギリス租界の設定から半世紀以上経過した1920年代の上海は、「四馬路」に象徴されるように、世界中から多くの人が集まり、必死で生きている街、日本で生きていけない人も何とか生きてゆけるだけの隙間があった街、あらゆる「悪」が存在した街、まさしく「魔都」へと変貌したのである。
この1920年代の上海と現在の上海、どことなく似ていると感じるのは私だけだろうか?
後輩がくれた2冊の本は、上海を考える上で非常に大切なことを私に教えてくれたような気がする。今更ながら後輩に感謝したい。

060420四馬路(写真).JPG
2006年4月20日Z
福島県上海事務所 安達 和久